散り際の美学、的な…
以前にも取り上げたように記憶しているのですが、子ども達から
の「お下がり鉛筆」の話し。その小さな手にすらおえなくなった
鉛筆は、作業場へと運ばれてきます。そこで父ちゃんがゴソゴソ
と細工して限界まで使い切る。貧乏ったらしい話しかも知れませ
んが、そもそも裕福な暮らし振りではないので当然と言えば当然
のこと。限界までボロボロになったジーパンの儚さに似た、ある
種の美しさすら感じてしまいます。あくまで僕の感覚なのですが。
ものを大切にする感覚はとても大切な感性。「ものづくり」を生
業にしている自分が言うのも何なのですが、世の中にはものが溢
れ過ぎている。と言うか有り余っている。スクラップ&ビルドの
発想は、すでに破綻しているようにも感じる。せめて自分自身の
存在価値の在り方として、最後の最後まで使い切ってもらえるよ
うな道具類をつくれればと、切に願う。なるべくなら流行りに巻
き込まれず、消費の対象にもならないように。10年先も変わらず
使えるかどうか。自分の「もの選び」の基準を、自分の「仕事」
にも当てはめていきたい。最後の最後まで使い切ってもらえるよ
うな道具は、おしなべて美しい。そんな気がしてならないのです。












徒然・・・ comments(0) trackbacks(0)
スポンサーサイト
- - -
Comment








Trackback
この記事のトラックバックURL: http://semiaco.jugem.jp/trackback/879
<< NEW | TOP | OLD>>